//BUCK-TICKの歴史//
1985
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1987
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2005
1984年


非難GO-GO結成
アラキ(Vo) 今井寿(G) 星野英彦(G) 樋口豊(B) 桜井敦司(Dr)」
スターリンのコピーバンド。


バンド名を「BUCK-TICK」へ改名。
数ヶ月でオリジナル曲も増える
*現在発売されている「HURRY UP MODE」収録曲などがそれにあたる。

PLASTICK SYNDROME part1
オリジナル第一曲目(作詞:曲 今井寿)が作られる。数年前に明らかになった事実では、オリジナル第一曲目は実は「ソルジャー/星野英彦」。(その曲は闇へ消えた様子)

1985年


上京
桜井以外の3人は専門学校へ行くと言う口実をつくり東京へ進出。
桜井のみ週末練習参加となる。


桜井敦司、ボーカルへ変更。ヤガミトール参入。
先輩である氷室京介に「ツラがいいからボーカルをやれ」と言うアドバイスをうけた事が有名。ドラムに穴があいたので、当時、実力派アマチュアバンド「SP」を結成していたものの「バンドでプロは諦めよう」と決意していたヤガミトールを弟豊が無理矢理引っ張り込む。


些細な事柄
今井寿がアパートを追い出される(楽器がうるさくて)
今井寿が星野英彦のアパートを散らかす事件が日々勃発。
当面の間は群馬と東京の往復にてバンド活動を続行。

1986年

インディーズ誌「DOLL]雑誌初掲載
インディーズレーベル「太陽レコード」と契約
10月21日 TO-SEACH(アナログ)発売

インディーズ時代の私設ファンクラブが文京女子大学の人により発足される。会報は全部で5册あります(現在入手困難)。

ライブの写真から、メンバーのオフショット、高校生時代の写真から藤岡高校のアルバム。

他に未公開歌詞(今井寿直筆/レポート用紙)、グッズの販売(ロゴライター)等。

1987年


バクチク現象
幻のステッカー「バクチク現象」がゲリラ的に街中に貼られる。
(スタッフ以外はU-TAが頑張る)

4月1日「HURRY UP MODE(アナログ/CD)」発売
CDのみ「NO NO BOY」「VACUUM DREAM」収録。「NO NO BOY」はピクチャープロダクト(5枚組)で少しだけ見られます。BLUCK-TLICKのライブで演奏されている曲です。

6月16日 LIVE-INNにてメジャーデビュー発表
インディーズ界や巷から「魂を売ったバンド」などと言われ、外見に反するポップなメロディーでメジャー界からも叩かれると言う厳しい現実が。恒例のライブイベント「BEAT FOR BEAT FOR BEAT」を始め、全国各地でのライブツアー、ファンクラブイベント等で忙しい時期。

初新聞(?)
この年の9月21日、BUCK-TICKが新聞記事に。
群馬県「上毛新聞」に<熱気で10人が貧血>と言うタイトルで載りました-9月20日の高崎BIBI-。幸い、軽い貧血であり大事には至らなかったそうです。

BUCK-TICKを見出したスタッフ達により、BUCK-TICK所属事務所「シェイクハンド」がスタートする。1987年から1996年までの約10年間、所属した事務所です。

9月21日 デビュー作品「バクチク現象」ビデオ発売

11月21日 1stALBUM「SEXUAL×××××!」発売

1988年


ミニアルバム「ROMANESQUE」発売
初回限定で黒いジャケット、開封すると2種類のジャケットのうち、どちらかが入っている仕組み。

2ndALBUM「SEVENTH HEAVEN」発売
あまりの忙しさに髪を立てたままの睡眠、点滴をうちながらの活動が余儀無くされる。SEVENTH HEAVENに関しては、やっつけレコーディングと言っても過言では無い今井寿の発言も紙面にあり。

10月 1stSINGLE「JUST ONE MORE KISS」発売
-「CDian」という、ビクターのラジカセのタイアップに起用-
CMにはメンバー総出演。成田空港内を、CDianを手に持ち練り歩き、通行人が怪訝な顔をするCM。キャッチコピーは「重低音がバクチクする」。世間での呼び名は「BーT」(ビーティー)が主流。

少女漫画「HEARTS」とのコラボ企画
登場人物はバクチクフルメンバー+初音ちゃん、と言う構成。BUCK-TICKでは無く、BLUCK-TLICKとして登場。現在、古本屋にて稀に購入可能。1月24日のシークレットギグでは「初音ちゃんを捜せ!」なるイベントも。

日本レコード大賞「新人賞」受賞!

1989年


3rdALBUM「TABOO」発売
ロンドンレコーディングの際、現地ライブハウスでのLIVEを決行。現地で追っかけまで作ったBUCK-TICKですが帰国後には「やっぱ外人の女は駄目だな!日本人に限る!」の様なコメントもあり。多少群馬弁の残った明るいトークで、あっちゃんが話していました。(ど〜んとRADIO)この頃のBUCK-TICKのRADIO番組は、そうとう明るいです。

LSD事件
4月21日、今井寿大麻所持、成田空港にて逮捕される事件。
当時はNHK、民放、各局で報道され、新聞の一面に大きく報道されました。フールズメイト系の雑誌の読者のコーナー等のお悩み相談室には
「お母さんにあんな事で捕まるBANDのLIVEに行っちゃ駄目と言われライブに行けずにいます」の様な悲痛な叫びが多発。保護者が必死で保護。当然、TABOOツアーは打ち切り公演中止となりました。

裁判当日の映像は酷いもので傍聴席の抽選会場で今井寿を見られる喜びに満ちあふれた少女達が和気あいあい。当たって「キャーーー!」と喜ぶ少女。横で泣いている少女。ニュースでも綺麗な女性キャスターが「ここはコンサート会場ではありません」と、超怒ってます、顔が。可哀想なのは「被告:バクチクのギタリスト今井寿」というタイトルで新聞の一面に大きく写真が載ってしまったヒデです。(ちなみにコーラス中のヒデの写真でした)

完全復活
12月29日、東京DOMEにて完全復活を果たします。BUCK-TICK現象2。来場者にはインディーズ当時にU-TAが貼りまくったという伝説のステッカー、BUCK-TICK現象(白・黒)復刻ステッカーが配布されました。が、実際の復活ライブは地元群馬は高崎にて行われました。

1990年


3週間連続リリース、オリコン連続第一位!!
「悪の華(シングルCD)」
「悪の華(ALBUM)」
「HURRY UP MODE(復刻CD)」

初回特典は豪勢で「LPサイズのポスター6枚」「悪の華長方形アルミプレート」バブル絶頂期でした。この時期は、よほどのファンではなくとも「悪の華」を購入する人が多く、よほどのファンはその特典を周囲から貰ったりなんかして、実に2.3枚づつ所持している人も多いと思われます。

この頃BUCK-TICKをよく話題に出していたアーティストには「大槻ケンヂ」意外な所でフリッパーズギター等があげられる。

キメ台詞
LIVEでのMCの恒例発言「SEXしようぜ!」「骨の髄まで愛し合おうぜ!」は文通しましょうコーナーでのメッセージに引用されたりもしました。

-例1「当方15歳、女。BUCK-TICKFAN。あっちゃんを骨の髄まで愛しているという方なら年齢性別問いません。初回のみ切手同封希望」

-例2「全国ノBUCK-TICKノ君ニ告グ・・・。当方今井ファン。手紙待ッテマス」

当時は一回の掲載で30通以上の手紙が届いていたのでは無いでしょうか。文通コーナーを占めるバクチクファンの割合がとても多かった時期です。

ファンの装い
FANの間では、エナメル素材の衣装に金髪髪立てを終えて、黒レースに黒手袋、黒髪ロングヘアーなど、俗に言う黒系が目立ち始める。

1991年


2ndSINGLE「スピード」発売
ALBUM「狂った太陽」発売
異色のアルバムと絶賛を浴びる。初回限定特典はセル。アルバム(5枚)シングル(1枚)と、ついていました。アルバムの5枚はメンバー全員分あり、重ねると一枚の絵になる仕組み。使用目的が見つからず引き出しにしまっていた人も多数。

面白いツアーグッズでは「B-T.TATOOシール(3色セット)」がありました。

B-T PREES
アルバム発売に先駆け、何週に渡りBUCK-TICK新聞の様なものが全国のレコード屋で入手できました。人気絶頂期の為、現在の様にレコード店は限られておらず、沢山のショップに並べてありました。TAKE FREEだったので、ひとりで何枚持って帰っても大丈夫。内容は様々な情報、クイズなど。普通の新聞サイズでボリュームたっぷりです。

「全国 BUCK-TICKを捜せ!」企画
その辺にあるBUCK-TICKに似ているものを募集。
例えばピエロの写真を今井寿で応募、ヤシの木をヤガミトールで応募など。もちろん似顔絵でも応募できました。各ラジオ番組、紙面等で随時公表。

久しぶりのライブハウスツアー
狂った太陽ツアーが終了すると、クラブサーキットツアーがスタート。
当時の「衣装」と呼ぶに相応しい服装、豪華なステージセットを見なれてしまっていたせいかライブハウスでのBUCK-TICKに違和感を覚えたという音楽誌の記事も。キャパに対する応募の多さが話題を呼びました。

シングルカット多数
アルバムから3枚シングルを発売。その中から「ANGELIC CONVASATION/MAD」はシングルPVとしてビデオ発売。

DANCE2NOISE001
BUCK-TICKからは今井寿が藤井マキとSCHAFT共演(SCHAFTの始まり)。星野英彦も一曲やってます。

1992年


「殺シノ調ベ」発売
ジャケットにある背景は日本にまだある埼玉県の高等学校の講堂。これまでの作品が新しいアレンジで新しい曲として誕生する企画です。原曲よりも馴染みが深くなっている曲もある事でしょう。このALBUMが出来る過程に「音楽と人」で有名な市川哲志さんが居ます。

すぐにツアーがスタートしましたが、狂った太陽よりも小規模のツアーになっています。

櫻井巻き毛にファン驚く 〜 ファンの装い
櫻井敦司の巻き髪が巷を随分騒がせました。ツアーでは全員が狂気の赤い腕章をしてました。黒いスーツに赤い腕章。シンプルなので、当時は沢山居たコスプレの人達は楽チンそうでした。ライブ会場では、当たり前の様に腕章を沢山見かけました。

Climax Together
秋には「ライブビデオ用のライブ」が横浜アリーナで2DAYSありました。楽屋風景があると言う情報が発売前にあったのですが、そのシーンはオープニングをうながすロウソクのシーンの事でした。あれは楽屋で撮ったそうです。このVIDEOのオープニングSEは次回のアルバムと密な関係にある一曲でした。

1993年


「darker than darkness style93」発売
93曲目「d.t.d」は発売までにその素性を明らかにはされていなかったのです。また、アルバムにもクレジットされていないので、シングルとして発売されるまでに歌詞は非公開でした。この93曲目は1992年のライブビデオ「climax together」のイントロと密な関係にあります。 
今井寿の小ネタが炸裂している93年です。

ロングツアー
ライブ会場へ足を運ぶ人の黒さに拍車がかかってました。
ツアーは5月にスタートし終了が11月。2DAYS公演の会場も多数あり。今井寿はモヒカンになり、少年Aメイクに。電子音の出るピストルも使用していたので、これも会場で多数見かけました。櫻井敦司さんは、多分、間違えてツアーグッズのチョーカーを3つも4つもつけてました。ジーンズを短く切って間違って中にスパッツをはいてしまった事件も。ツアーグッズに「チョーカー」があった為か、終演後、ステージを去るU-TAが必ず投げていました。

大晦日にTV番組の企画ライブ出演
アンコールではソフトバレエとICONOCLASMで夢の共演。新年を迎える時間だったのでカウントダウンが予測されたが、さすがバクチク。期待を裏切り直前にて終了。

ファンの気持ち
このあたりから徐々に「メンバーがファンを必要としていない気がする」という悲しみに暮れたファンの意見が目立ち始める。理由は恐らく「MCが無くなってきた」と言うあたりから始まり、櫻井敦司のインタビューや詞から勝手にインスパイアしてしまった感じだと思います。他のBANDにくらべると「ファンサービス」が少ない感じでした。(それが自然に見えたのですが)音楽業界ではようやくポップでカラフルなイメージも一掃されBUCK-TICKの音楽業界においてのポジションが明確に確立された感触もあった年。

1994年


残念な事にBUCK-TICKとしての活動がほとんど見られない1994年。

LSB(ルナシーソフトバレエバクチク)ツアー
メインは上記3バンドですが、他にはマッドカプセルマーケッツ、イエローモンキーなどが共にツアーをまわっていました。この時代ではBUCK-TICKがトリでした。

富士急ハイランドでの単発ライブ「シェイプレス」
キャパも多く、広い会場だった為か、園内放送にて「○○県櫻井様、今井様が観覧車の下でお待ちです」などと、コスプレチーム達の待ち合せに支障があった様子。櫻井様に呼ばれる今井様が、おそらく世界で一番多かった場所だと思います。

SCHAFT
今井寿のみシャフトでの活動があり、小規模のツアーがありました

シェイプレス発売
海外の有名なアンビエントテクノアーティストが手掛けるBUCK-TICKリミックスアルバム。エイフィックスツイン、キャバレーヴォルテール等のアンビエントテクノ界の人気者達です。イスタンブールで撮影された写真集付きで限定発売でした。今でも結構普通に入手できます(中古屋で)。

デビューからの流れを見るとファンが「もっと!何かもっと!!」と思う94年でした。

1995年


SIX/NINE 発売

BUCK-TICK地下鉄イベント発生!
全国主要都市で地下鉄にBUCK-TICK車両が出現。地下鉄の社内広告、中刷り全てがBUCK-TICKに彩られた車両が走ってました。ファンじゃない人ももちろん利用する地下鉄なので話題騒然でした。

新作完全再生劇場版
アルバム発売前にアルバム全曲PV放映劇場があり、抽選に当たった人のみが見にいけました。その後にBS NHKで放映されたものは「君のヴァニラ」が部分的にカットされ「楽園」は丸まるカットされたものです。*現在ピクチャープロダクト(5枚組)にて完全版を見られます

CD回収騒動
アルバム初回限定その1「紫色ケース」が、楽園にコーランを使用した事によりクレームがつき全て回収されました。買ってしまった人はCD屋に持っていけば初回限定その2「赤色ケース」に交換してもらえました。紫色ケースを交換しに行った人はいるのでしょうか?
赤色ケースの内容は紫色ケースの楽園よりコーランのみを抜いた以外は、変わりはありません。そして、限定版が終了して通常のクリアケース。3色あります、SIX/NINE。
*シングル「鼓動/楽園」も回収されました。

ファンの装い
ライブ会場では大半のファンが黒レースから黒レザーに移行。
(割と臨機応変なファンが多い)

1996年


COSMOS発売
BANKER設立

CHAOSツアーが夏から秋にかけて行われた96年。
この年がビクター最後の年でもあります。そして長期に渡ったBUCK-TICK CLUBを終了しFISH TANKがスタート。事務所はシェイクハンドをやめて、バクチクのオンリー事務所BANKERを設立。ヤガミトール社長。

この年から翌年1997年に渡っては、音楽活動よりも事務所移動や何かが忙しそうに見えたBUCK-TICKです。

10周年
デビュー10年という事もあり「振り返ってみてどうですか?」という質問が多くアルバム「COSMOS」に関してはあのポップなイメージから「原点回帰」と言われる事も少なくありませんでした。

PV
キャンディPVはグニュウツールの方が手掛けたもので、独特の仕上がりになった感じでした。最初に登場する犬は「BJ」です。BJはこの年に放送されたサウンドアンドヴィジョンにも出演しています。*(BJ=今井寿のペットのビーグル犬。ちなみにブラックジャックの略)

櫻井敦司 急病
そしてツアーが終わり、写真集の撮影でネパールへ飛んでいた櫻井敦司が腹膜炎の為に緊急帰国、緊急入院、緊急手術。
後日雑誌や会報などでその時の状況が本人により説明されましたが、それまでのファンの心境はハラハラドクドクなのでした。

1997年


レコード会社移籍
「ビクターエンターテイメント」から「Mercury Music」へ移籍。
事務所もレコード会社も変わって心機一転という感じでした。

小規模ツアー
年明けそうそうに、RED ROOMというBUCK-TICKにしては小規模のTOURが行われました、全国9本。「改造されて帰ってきました」TOURです。関東から西のみで行われたこのツアーは関東以北のファンの悲しみを誘いました(個人談)。

SEXY STREAM LINER発売
ツアーの先駆けとなる零型(TYPE0)が日本武道館にて2日間行われ、
そこで歴史に残る今井寿の小道具「ピカチュー」が登場したのです。

1998年


ツアー開始
待ちに待った全国ツアーがスタート。ピストルやソニックが徐々に姿を消して、ピカチュー率が高かったバクチクファン。年をまたいでのツアーは珍しいかも。

アナログミニアルバム「LTD」予約限定
「囁き」マキシシングル発売
ダニエルアッシュのリミックスは衝撃的でした。だけどやっぱりファン受けする内容ではなかったのではないか、と思います。(正直そんなに面白い内容じゃなかったかな、なんて思ってみたりします)
無知の涙が月世界のカップリングでリミックスされました、布袋リミックス!これも衝撃ニュースでした。

櫻井敦司、今井寿のフィギュア発売
このツアーのフィギュアが発売されました。今井寿バージョン、櫻井敦司バージョンの2体です。¥56,000という高額。売れたのかどうかは不明。周りで購入した人をまだ知らないニコです。このフィギュアの広告は広くストリートファッション誌までにも載っていました。

マーキュリーの宣伝方法にイマイチ不慣れのままこの年を終えたファンも少なくなかった事でしょう。

1999年


「BEAUTIFUL MONSTERS TOUR」で幕開け
共演はマリリンマンソン、THE WILD HEART、ONE MINUTE SILENCE、OBLIVION DUST。1994年以来の富士急コニファーフォレストにて10曲くらい出演。行けなかったので後から映像で見ましたが、何とも言いがたい感じでした。(すみません)

ヤガミトール誕生日に単発ライブが一本
その後、ENERGY VOIL TOURが全国4本
アンコールを入れても13曲くらいの不思議なツアーだった様です。(これもニコは見に行ってなくわかりません)

ミウ BRAN-NEW LOVER 発売
カップリングをあわせると5曲の新曲です。新曲も発表していて、小規模ながらもツアーをやっていたBUCK-TICKですが、メディアからは後の活動時に「BUCK-TICK始動」と言われる程に、影の薄い活動だったと思います。

2000年


レコード会社また移籍
マーキュリーの契約(2年)が切れたと同時に、今在籍しているBMGファンハウスへ。個人的にマーキュリー在籍中のBUCK-TICKがあまりパッとしなかったので嬉しかったです。

ONE,LIFE,ONE,DEATH 発売
レコード会社の移籍は関係無いとして、このツアーでこれまで休みがちだったファンが元気になった感じがありました。「今回のツアーは格好良い!」という声を聞かないではいられないくらい、あちらこちらでファンの悲鳴を聞きました。ファントムツアー、アザーファントムツアーとニューアルバムをひっさげて、全国ツアーではやはり久し振りと言った感じのBUCK-TICKでした。

年末の武道館、発売直後にソールドアウト
一般発売では「売り切れです」につながるまで2時間もかかりました。この年末の武道館が、今や恒例と言われている「12月29日」の始まりです。*但し、公演タイトルは「ONE,LIFE,ONE,DEATH TUOR」

また、マーキュリーより97BT99、スーパーバリューバクチクの2枚が発売されました。結構びっくりしました。契約って大変なんだなぁと思わされます。そして、曲タイトルが間違ったままクレジットされている箇所がありました。購入してないのでどっちか忘れましたけど、スーパーバリューの方かなぁ。ある意味衝撃です。
正「蝶蝶」 誤「喋喋」

韓国「ソヨロック」に出演!
以前から熱い要望があった流れもあってか、韓国のロックフェスティバルに出演。
日本からはファンクラブツアーも組まれ、ホテルではユータ登場にてちょっとしたプレゼント大会などもあり。また、現地でファンの集いも開催される。

2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年